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【コータのプロフィール劇場】せどりと出会う前編

はじめまして。当ブログ(俺せど)の管理人コータと申します。

 

このページでは私のせどりと出会う前の話を中心に書いています。

プロフィールはストーリー毎にページを分けていますので、ご興味がある方はぜひご覧ください。

人生に絶望していたブラック企業時代

就職氷河期の終わりに社会に放り出された俺。

 

元々目指していた教職の道を諦めきれず、1年間教職浪人という形をとることに。
その後も依然高い人気を集め、高倍率の公立教員の道を断念

 

当時アルバイトをしていた会社に拾われるようにして就職。

地元・東京都八王子市にある、電子部品を作る小さな町工場で社会人生活をスタートしました。

 

基本給は13万円

 

「初任給はこんなもんか」と、何の疑いも持たずに働き始めました。

 

当時は実家暮らしだったため、生活に困ることはなかったものの、必要最低限の生活をするのが精一杯

 

必然的に残業代支給上限の60時間まで残業をしなければならない日々

その頃、世間ではリーマンブラザーズ破綻による世界的な金融危機が発生。

 

今は景気が悪いからどこもこんなもんだ

頑張っていれば、いつか必ず評価してもらえる時がくる

 

そんな風に自分に言い聞かせ、馬車馬のごとく働く日々。
39度の熱があってもおしりから解熱剤を入れて出勤し、会社のために働きました。

 

我慢に我慢を重ねること、8年半。
気がつけば、定期昇給する周りの友人達と比べて明らかな給与格差が生まれていました

 

一方で、俺の給料は上がるどころか業界内の不況を理由にまさかの減給。
手取りが12万円となってしまいました。

 

さらに、無理な生活がたったのか1年間に2度の入院生活を余儀なくされる始末。

衝撃的だったのは、病院に姿を見せた社長が吐き捨てるようにいった言葉。

 

「おまえは体の弱いヤツだ」

「おまえのように入院したヤツはうちの会社が始まって以来始めてだ」

 

この言葉を聞いた時に、何かが自分の中で崩れていくことをはっきりと感じました。

 

「この会社は社員のことなどどうでもいいんだ」

「社員は所詮、会社の捨て駒なんだ」

 

努力が報われないことに絶望しました。

 

気がつけば30歳。

 

こんな薄給では結婚をして家庭を持つこともできない。
将来に対する不安、焦りに押しつぶされそうな毎日でした。

人生逆転を信じて上場企業へ転職

自分の人生をなんとか変えたい!

そんな想いから一念発起、30歳を過ぎてから上場企業へ転職に成功。

 

時を同じくして、今の妻と出会い、結婚を前提に交際スタート。

 

これで人生が大きく変わる!

 

と思ったのも、つかの間。

現実はそんなに甘くありませんでした。

 

30歳を過ぎ、異業種からの転職。

覚悟はしていたものの、給料は最も低いテーブルからのスタート

 

コンプライアンスに厳しい大企業ゆえに残業時間は厳しく管理されています。

 

蓋を開けてみれば、転職前よりも手取り給料は下がるという結果に。

 

僅かな蓄えを切り崩しながら凌ぎつつ、

当時結婚間近だった今の妻から支援を受けながらヒモのような生活をする、なんとも情けない日々。

 

それでもめげずに努力を重ね、入社1年後には事業部約900人中9番目の成績で社内表彰を経験。
これをアピールポイントに、社内の幹部昇格試験を受けるも、あえなく不合格

 

さらに努力を続けること半年。
悲壮な覚悟で昇格試験に再挑戦。

 

今度は最終選考の役員面接まで進み、手応えもバッチリ。

 

家計を支えるために新婚後まもなくからパートに出ていた妻にこれでようやく楽をさせてあげられる
元々、体が強くない妻はこの頃、体調を崩しがちになっていました。

 

これで安心して家庭に入ってもらえるとホッとしていました。

 

ところが、試験合格の連絡を待つもいっこうに来ない。
嫌な予感を感じつつ過ごすこと数日。

 

今も忘れない決意の日がやってきました。

 

ある日、帰宅するとポストに会社から一通の通知書が届いていました。

中身は待ちわびた試験合格通知ではなく、まさかの不合格を知らせるものでした

 

ポカーンとする俺。
不合格通知を見て、声をあげて号泣する妻。

 

そんな妻の姿を見て決意をしました。

 

会社に依存する思考そのものを改めない限り、生活を大きく変えることはできない!

自分でお金を稼げるようにならなければいつまでたっても貧乏から抜け出せないと。

 

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せどりとの出会い編

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2018年6月29日